「大雪山自然教育研究施設の設置の経過と将来について」

日時

平成2年8月20日(月)10:30~12:30

場所

東川町男駒別,北海道教育大学大雪山自然教育研究施設

出席者

本学名誉教授 奥田五郎
本学名誉教授 東尚巳
本学教授 櫻井兼市
本学教授 橘ヒサ子
(司会 櫻井兼市)

はじめに

櫻井

学報に旭川分校の特色あるところを座談会形式で載せたいということでいろいろ考えましたが,大雪山自然教育研究施設が出来てからほぽ30年になりますので,創設当時分校主事をされていました奥田先生と,建物が改修された時に分校主事をされていました東先生に出席していただき,その頃のさまざまな苦労話などを伺うと同時に,現在,研究施設の運営委貝である橘先生にも加わっていただいて,今後この研究施設をどういうふうに運営し発展させていったらよいか.というような施設の将来のあり方についてもいろいろご意見を伺うということになりまして,今日,先生方に施設の方に来ていただきました.先生方にはご多忙のところ,お集まりいただきまして感謝いたします。

設立当初の頃

櫻井

まず最初に,この施設をつくるにあたって,昭和28年当時,大喜多先生と今村先生がいろいろ御尽力されて,建てるための期成会が出来,昭和35年に建物が実際に建ったというように聞いていますが,その間の事情についてお聞かせ願えれば有難いのですが。最初にこの企画を言い出されたのはどなただったのですか。

私の知っている限りでは,これをつ〈る話が教官会に出る前に,大多喜さんと今村さん,その他にもいたと思いますが,「折角のこの(大雪山の)大自然を何とか利用し研究や教育に役立てる方法はないものか」という話をされておりました。その前に彼等は役所関係とコンタクトがあったのかもしれないが,そのあたりの経緯についてはよく分かりません。そして設立準備会の設置と設立計画が教官会に出されたのを記憶していますよ。

奥田

結局はね,山崎さん(当時,分校主事)が大雪山に何か施設をつくりたいという話を聞いて,それではどのようにしてつくるかということになり,まず大多喜君と今村君に相談されたものと思われる。そして,具体的にどのような形でこの施設をつくるか,という点ではなかなか実らなかった。そのうちに,この勇駒別の地域の中の一部分を使い,学芸大学の施設を作ったら良いのではないかというふうに考えたのです。場所としては.現在地よりももっと上流を考えていたようで,元の東川町の研修所のあたりがそうだったような気がする。そのことはともかくとして,具体化したのは,後援会が動きだしてくれたからです。

櫻井

施設の建設には莫大な費用がかかったと思うのですが。

全て後援会費でつくろうということだった。当時,山崎主事が教官会に堤案された時,「我々の研究環境は厳しく,校舎も貧しい。しかし何か夢を持とう.教官の研究,学生の教育に使用するということで,可能性があるかどうか分からないが,この計画を何とか進めたいので了承して欲しい。建設費は後援会にお願いしてみたい。」と言われた。

奥田

当初はスローガンを出した程度のものだった。計画と実際とは違っていたが158万円積み立てたところで,建築の目処が出来た。そして,場所が問題となったが.当時,上流域は林務署が認めない状況にあったので,観光ホテルの予定地であった現在の場所を借用し,後援会の了承を得て,教官会で決めたのです。建物の方は,勇駒荘のオーナーの小西氏が当時,建設業もしていて安く請け負ってくれることになりました。建築資材の運搬は勇駒荘までトラックが入れた。その当時は上流域には旭川土木現業所と東川町研修所,それに仰岳荘があっただけだと思う。

櫻井

建築後も資金の積み立ては続いたのですか。

奥田

毎年20~25万円積み立てていました。そして,寝具等の備品類の購入も後援会の佐藤門治会長に相談して,無理をお願いしたものだった。

櫻井

私が初めてここに来た時には電気はついていましたが,最初からあったのですか。

奥田

最初は何も無かった。お湯と水は沢の近くにあるが,電気はなかった。しかし,自家発電できると見当はつけていた。発電機の古いのを捜して小西さんに付けてもらった。

最初は,その沢(ピウケナイ沢)の水車で発電した。しょっちゆう止まったりした。

奥田

それが改善されたのは,天人峡の上流の熊野沢を経由して,電灯と水道を引く話が出て,「利用組合」というのがつくられ,電気がつくことになってからです。

それはロープウェィが出来ることと関係があったのではないかと思う.道路の整備も含めてね。

奥田

そういうことと関係があることは事実だったね。また,東川町でも必要になったんだと思う。そうやって電話もついたが,初めの頃は勇駒荘までよく走ったものだよ。

櫻井

建物が出来て,何もないところから手探りでつくってきたということですね。

そうです。国費を使わないで全て後援会でつくったのです。そして国に寄附したのです。

建物改築の頃

櫻井

建て替えの話が出たのはいつごろですか.具体的に文部省との交渉はすんなりいったのですか。

いや,そうではなく,最初は施設を潰すかどうかという話でした。昭和55・56年頃に全学予算委貝会で不活発な施設についての話が出て,「函館と旭川の施設は今の状態では問題ですよ」と言われました。大滝の施設は整理されていました。また,当時の事務長が建物を見てきて傷んでいることも判りました。それで,何とか改修しなければと考え,本部の経理部長に実際に施設を見てもらい,それから本部との折衝を始めたのです。

奥田

発足当時から,そのような情勢になったときに何で施設を支えるかということについて考えていました。文部省の係官,育英会の係官,そして大学本部の係官に対して,ここは素晴らしいとろであるということを機会あるごとに売り込んだ。そして,何とか生かそうと,印象付けることに苦慮した。そういう点では随分PRしたつもりです。潰すといっても,簡単には潰させないぞ,という気概はありました。それらも改修に結び付いていると思います。

櫻井

改修が決定的になったのはどういう理由だったのですか。

施設の「研究報告」を創立以来継統して刊行してきたことや一定の利用者数を維持してきたことがよかったのだと思いますが,私は,研究ばかでなく,学生が小・中学校の教師になった時に,のような施設で白炊をして集団生活をし,自然に親しんだという経験がいかに生徒の指導に役立つかということ,また橘先生の意見でもありましたが,日本の国立大学の施設の中で,大雪山国立公園の雄大な自然の中にあってしかも旭川市に近い,といった条件のところは,ここしかないことを強調して訴えました。事務局長,経理部長にも施設を見ていただいて,ようやく,当時の事務局長が「良く判りました」と言ってくれました。局長は予算をどうするかで,「(1)きちんとした建物に改築するか,これには時問がかかる。(2)一部を残して同じ面積で改修するか,こちらの方は実現の可能性が高い,の二つの方法があるがどちらにするか」を問われました。結局,(2)の方法を採るとになりました。その後本部が本省と交渉した結果,予算がつきそうなので,関係機関との折衝は,旭川分校で全てやれということになりました。松原さん(当時,事務長)と私が主となって交渉し,更に,本部事務局の方々の努力によって予算がつきました。旭川林務署,環境庁国立公園管理事務所,東川町役場,旭川土木現業所など関係機関の方々も理解して,大変協力していただいたので,予算のついた年に改修が可能となりました。建物の設計は当時営繕係にいた澤出氏が担当して,このような立派なものが出来上がったのです。

施設の利用とあり方

櫻井

施設の利用の面ですが,本学の教官の研究や学生実習,ゼミナール活動,教職員の研修等に広く利用されておりますが,国立公園の中の施設で,教育系国立大学が持っているのは稀少価値があるということで,道内や道外など他大学の研究者からも注目され,学生実習などに利用されるようになってきています。これからももっと多くの人に利用していただけるように,施設の内容を充実させ,PRもきちんとやっていかなければならないと思っています。施設の利用と今後のあり方について,ご意見をお聞かせください。

最近は他大学ばかりでなく,外国人も利用していますね。毎年,「研究報告」も出している。「研究報告」が途切れないで継続しているのは.佐藤正三先生(昭和53~56年度施設長)のお陰です。これからも研究活動の推進に努め,「研究報告」を継続して刊行して欲しい。そして,利用者実績も上げるように頑張って欲しいと思います。また何年か後,再び改修の時期が来た時,これらのことが実績として必要になると思います。

櫻井

それから,現在「環境問題」が社会的にクローズアップされていますが,この施設が教官の研究ばかりでなく,小・中・高校などの環境教育の場としても大きな役割を呆たすことができると思います。また旭川分校には健康科学課程という新設課程ができましたが,生涯スポーツ専攻の学生の実験や研究には,夏でも冬でも最高の場所と考えますので,大いに活用して欲しいと思っています。このような点からも,この施設は旭川分校の将来の発展のために,大きな役割を果たすことができるのではないかと考えますが,そういう面で見ますと,やはり文部省の定員がつく施設になれば一番良いのですが。そうするためには,今後,施設を利用した教育と研究を盛んにすることが必要で,我々の仕事だと思っています。

奥田

意地悪な言い方をすると,教育大学には真に独立した研究施設は無いと思う。そうした施設をつくるには,「要素」として,(1)どこに在るかというロカリティーが問題で,「他の地域にはみられない特色ある場所」が必要になる。(2)道内各大学の研究者が,大雪山を中心とした研究にどこまで有効に活用できるかということ。(3)学生に対して分校が,カリキュラムの上でこの施設を十分に活用できるかということ。の3つが必要である。以上のことが出来れば.この施設は有効に永く使うことが出来るであろうと思います。

櫻井

現在,年間の利用者数が約1,500名でありまして,これは相当な数だと思います。

そうですね。この施設は北国にあって,雪の多い条件の中で年間を通して開いていますが,これは誇って良いことだと思います。また大雪山国立公園は高山植物の宝庫です。姿見の池あたりに行っただけでも,本州では日本アルプスに行かないと見られないような植物が足元で観察出来るのも強みだと思います。動・植物などの研究や自然観察など野外教育の基地として,これからも大いに活用されるように施設を充実させていく必要があると思います。先ほどの先生方のお話を聞いておりますと賛沢な要求ということになるかもしれませんが,この施設をべ一スにして研究や学生実習をしている者からみますと,講演会やシンポジウム,小さい学会など多目的に使用出来るような実験室が一つ欲しいですね。そうするともっと活用の範囲が広がり,施設の活性化にもつながると思います。

それから,分校のバスを利用し易くすると,もっと利用者は増すと思います。

櫻井

の施設は現在,管理上,「土・日」が利用出来ないようになっていて,このことがいろいろな面でネックになっています.今後の検討課題ですが。

奥田

出来た時の構想からすると,卒業生の利用を高めて自然観察の指導者を増やし,収容人員の問題もあるが小・中学校の子どもにもサーピスすべきと思います。そして,余裕が出来たら一般にも開放することを考えたら良いと思います。

自然観察や野外活動の指導ができる人を増やすということは,とても大切なことだと思います。そういう点では卒業生ばかりでなく在校生の利用も高め,教育もきちんとやらないといけないですね。昭和45年に施設の名称を「大雪山科学研究所」から,「大雪山自然教育研究施設」に変更したことで,運営の方針や内容に変わった点があったのでしょうか。

ただ実態をみると「研究所」という名称には余りにもおこがましいところがあったのではないですか。

奥田

当時としては,自然科学の研究が中心になって発展させるのが当たり前と思っていた。しかし,学芸大学から教育大学に変わって施設の名称も変わった。これからは,一般教育の中の自然科学教育とか,教育大学のカリキュラムの中で活用出来るものを,この施設に求めていくことが考えられると思います。

創設以来の「研究報告」を見ますと,この施設の活動はやはり自然科学が中心になっています。これからは,環境教育の拠点として,社会科学,スポーッ科学.保健衛生学などの広い分野の研究や教育に活用されるようになると良いと思います。それから奥田先生のお話にありました小・中学校の子どもたちへの教育活動のことですが,これは施設に専任の教官がいると出来ることで,施設に行くと大雪山の自然について教えてもらえるという形になると良いと思います。「研究報告」第23号の施設だよりに,旭川分校の古川宇一先生が「障害児と自然」という一文を載せていますが,それを読んで私は大変感銘を受けました。自然は我々人間すべての共有財産なのです。障害をもった子どもたちも,この大雪山の素晴らしい自然の中でいろいろと学ぶことが出来るような施設にしていくことも必要のように思います。また,この施設には豊富な温泉もあります。研究者や学生,教職員の保養,保健の機能も果たし得るわけで,多面的な利用が可能です。そういう意味で旭川分校の将来構想の中に施設をきちんと位置づけ,発展の方向を探っていくことも必要ではないでしょうか。

改修の時もそうでしたが,また再び経済状態が悪化すれぱ実績が問われることになります。「何をしたか」というデータをまとめておく必要があると思います。

創設当時から環境庁や林務署,東川町など地元の関係機関にはいろいろと協力していただいています。これからも大学として,これらの関係機関に貢献していくという姿勢が必要だと思います。その点から「研究報告」の配布も大学図書館だけでなく地元機関にも配布すへよう検討して欲しいと思います。

櫻井

長い問,いろいろとお話をいただき有難うざいました。この施設が発足30年を経過し,将来どういう方向に発展するか,分校の将来計画とも密接に関わっていると思います。この点については,分校の運営委員会で充分討議を重ねていきたいと思っています。「大雪山自然教育研究施設研究報告」は昭和37年より平成元年までに通巻第24号が刊行されています.総論文数は89編で,主として自然科,体育科,養護科のスタッフから寄稿されています.今後,旭川分校教官のみならず広く全学の研究者からの寄稿も登載したいと考えているところです。
本日はどうも有難うございました。