沿革

 本研究所の創設は,昭和35年のことである.同年5月25日北海道学芸大学教育研究施設総則の一部改正により,名称を「北海道学芸大学大雪山科学研究所」とし,学長が所長を兼ねて大学本部に所属する研究施設として設置が定められた。
 同時期に制定された研究所細則によれば,この施設は「大雪山国立公園山岳地帯の白然科学研究をなすと共にその環境を利用して北海道教育の進歩向上を計り,必要な研究と指導に寄与することを目的とする」もので,一方では大雪山一帯の地域研究を行い,他方では施設利用による教育・研究への寄与という二面が示されている。この両面は,本研究施設創設以来,常に運営の基本と考えられてきたものである。
 研究施設の用地は,旭川林務署所管の道有地を借用し,建物は,旭川分校後援会が昭和35年に寄付事業として建築したものである。その位置は,昭和28年に旭川分校主事山崎久蔵教授が旭川林務署長と打合わせて定めたもので,旭岳の全貌をほしいままにし,勇駒別温泉郷の中でも,とくに泉質の優れた温泉が豊富に得られる地点である。階下41坪,地上32.5坪の建物は,昭和29年に設計されていたが,後援会が短期間で資金を調達するのは困難であったから,昭和30年以降建設費の積立てを行い,昭和35年に至って158万円の積立金を得,同年1月26日常任理事会は,積立金と借入金とをもって建設する方針を決めた。国立公園地域であるため,その建築に関しては,学長から厚生省との間の工作物新築協議を申請し,6月工事着工,10月12日落成をみた。
 昭和36年4月1日付をもって5名の常任所員が任命され,これによって運営組織が碓立した。所員会議は,稲垣貰一教授(生物学)を研究所主任に選出し,「使用内規」を定め,研究課題を旭川分校所属教官に募った上,研究員を選任し,研究用備品の整備に当たるなど,研究所の活動は軌道に乗っていった。建物建築・施設開設の時期の旭川分校主事は奥田五郎教授であって,副所長を兼務し,その功労は大きかった。
 昭和45年7月4日名称を改めて大雪山自然教育研究施設とし,旭川分佼の所管になった。施設長は分校の教授から選任されることになったが,実際には旭川分校主事を充てて運営された。昭和53年には,昭和45年以降研究員の名で運営を審議する委員が任命されてきた変則状態を改めて,新たに「内規」を定めて運営委員会を置き,この委員会が施設長と研究員とを選考し,施設の運営計画・予算・研究報告の刊行などを審議することとした。また,従来分校主事を充てていた研究施設長は,分校主事以外の教授から選任することとなり,運営委員会は作藤正三教授(生物学)を施設長に選んだ。佐藤正三教授退官後の施設長は,今村源吉教授(体育学)が2期4年,そして櫻井兼市教授(気象学)が2期半5年,それぞれ勤められた。平成3年4月から平一弘教授(理科教育)が選任され,就任した。
 研究施設は研究者の調査基地として,また本学教職員・学生を主とする一般利用者の研修会場・登山・スキー基地として用いられている。調査研究の基地としての利用以外では,生物学,地学,地球物理学,気象学等の野外実験・実習や体育の授業,新設課程生涯スポーッの野外活動,卒業研究の発表会,輸読会などの学生指導に用いられ,とくに課外活動に利用されることが多くなってきている。最近では他大学の研究者や外国人研究者の利用もあり,また他大学の学生実習にも使用されるようになった。年間利用者数は1,400~1,500名前後を維持し,施設は最大限活用されている。
 昭和37年3月創刊された「研究報告」は,研究員による研究成果を登載する学術誌であって,平成2年度までに25号を刊行し,93編の論文が登載されている。論文を分野別にみると,生態学に関するものが過半を占め,植物学に関するもの37編,動物学に関するもの23編,地質学・地形学に関するもの18編,気象学・地球物理学に関するもの11編,生化学に関するもの9編,体育学2編,地理学1編であって,その他若十の作業報告がある。昭和59年12月刊行の「研究報告」第19号より,「施設だより」と「施設記事・施設案内」の項を設け,「施設だより」には研究や教育,研修のために施設を利用した学内外の方々の研究論文以外の随想や教育実践記録を掲載し,また「施設記事」の項にはその年度の職員と運営委員会の構成,研究員の研究題目,施設利用状況(利用目的と利用者数)など,ややもすれば未整理のまま散逸しがちな資料を収録し,施設の運営に資することとした。平成2年度までの「施設だより」への寄稿者は分校関係7名,学内1名,学外1名であって,その内容は単に施設を利用した感想に留まらず,施設の意義や将来についての貴重な堤言や学生実習記録などが掲載されている。
 研究施設は開設30周年を迎えた。この間,20余年の風膏に耐え,多くの研究業績と教育の成呆を生み出した施設は,建物の老朽化が進み,また昭和55・56年頃の国の行政改革と大学の緊縮財政計画の中で,廃止の危機にも直面したが,関係者の努力が実って,建物は一部を残して全面改修されることとなり,昭和62年2月に落成した。建物の面積は改修前と同じであるが,設計は当時営繕係にいた澤出宗利氏が担当し,カラマツ材を基調とする立派なものが出来上がった。建物改修当時の分校主事は東尚巳教授(化学),施設長は今村源古教授と櫻井兼市教授,事務長は松原秀次郎氏であって,その功績は大きい。これにはまた大学本部事務局の方々,特に当時の事務局長足立卓三氏の努力と旭川林務署をはじめとする関係機関の方々の理解と協力があったことも忘れてはならない。また昭和63年には当時の事務長野村信夫氏の努力で洗面所とトイレの改修も行われ,施設はさらに使い易くなった。さらにまた,少ない施設予算の中で「研究報告」を継統させるために努力した,昭和53~56年度施設長佐藤正三教授の業績は高く評価される。
 総体として自然を見る自然研究は,アリストァレスからローレンツまで自然科学研究の中核をなしてきたが,日本の大学,研究機関でこの方法論は一時期衰退した時期がある。最近のいろいろな環境問題や自然保護の問題でこの方法論が見直され,教育の中での実践も叫ばれているが,現実に人の基本的プログラムを変えるには相当の努力が必要と考えられる。日本の各地に最近,立派な博物館が設置されているが,これらは自然から遊離した科学的知識の集積庫の感が強く,意識しない自然現象の流れを,人の存在の基礎と認知させるにはほど遠い。自然の声を聞きながら,その限りない自然の美を感性として捉え,その背景にある自然の規則性を認知するためには,雄大な自然と整備された自然教育の施設が必要であり,その意味でこの大雪山自然教育研究施設は今後,人学の教育,研究において,その存在価値を高めるであろう。また,その社会的期待も高い。
 最後に,僻隔の山間にあって,日夜施設の維持管理に当たってきた創設以来の管理人,富田久一,宮田チヨノ,上原義一,石山光子,高橋よしの,三浦浩,樋口勇,堀部長五郎の各氏に対し,この場を借りて深く感謝の意を表したい。

略年表

昭和35.01.26 旭川分校後援会理事会(会長佐藤門治)が建物及び附属設備の寄附を議決
昭和35.06.01 大雪山科学研究所細則を制定
昭和35.08.31 厚生省から,特別地域内工作物新築協議に対し,同意の回答
昭和35.10.03 知事から,保安林内作業許可書の交付
昭和35.10.10 旭川林務署長から,北海道有林野貸付承諾書の交付(3,421 ㎡)
昭和35.10.12 落成式
昭和36.02.15 分校教官会で,細則の(所員に関する)内規を制定
昭和36.04.01 施行とする。第l回所員会議開催.使用内規を制定
昭和36.06.07 後援会長から,建物・水道・下水・電灯配線の寄附を受け入れる
昭和36.09.27 研究用池(35.6 ㎡)取設
昭和37.03.19 北海道立衛生研究所から,温泉分析書受領
昭和37.03.20 研究所報告創刊
昭和37.08.21 知事から,温泉利用許可の指令(証票第1262号)
昭和37.08.23 勇駒別地区自家用電気組合設立,規約制定.本分校加入
昭和37.12.25 旭川林務署長あて,湯源地及び湯送管敷地(45 ㎡)の借用願を堤出
昭和37.12.30~38.1.1にかけて 函館分校学生山岳部部貝11名が遭難.救難本部を置く
昭和40.07.27 旭川林務署長あて、給湯管の一部配管換えのため変更申請書を堤出(42.54 ㎡)
昭和41.04.05 大学の公称変更により,研究施設総則及び細則の一部改正
昭和41.09.14 学長から,簡易水迫取設共同事業加入について,差支えない旨の通知
昭和42.09.27 東川町長から,使所,浴室への水道増設協議について,飲料用に共同負担したものであり,用途外使用は原則として認められないが,予備のある間,制限厳守の上利用することは止むを得ない旨の回答
昭和45.07.04 大雪山自然教育研究施設と改称.細則を全部廃止,研究施設規程,研究施設規程に関する内規,研究施設使用規程及び使用内規を制定
昭和46.07.31 勇駒別温泉高台地区雑用水共同引水施設できる.東川町長から,浴室までの水道配管の協議について,渇水期には節約する条件で許可する旨の回答
昭和47.05.26 道有林野貸借契約(更新)にあたり,附属地を一部返還し,借用地1,600 ㎡とする
昭和48.12. 積雪により,浴室棟損壊
昭和49.10.30 浴室,脱衣室,洗面流しを補修
昭和50.03.29 LPガス配管を設備
昭和52.03.16 研究報告刊行要綱を制定
昭和52.05.11 旭川林務署長あて,貯水槽及び引水管敷地(10.6 ㎡)の貸付申請書を提出
昭和52.06.29 旭川保健所のし尿浄化槽修理改造命令にもとづき改築(35人槽)
昭和53.01.01 施設使用内規の一部改正
昭和53.01.30 電話設置
昭和53.04.01 研究施設規程の一部改正,研究施設規定に関する内規を制定(従前の内規廃止)
昭和57.10.20 施設使用個人負担分の一部改正
昭和58.11.20 施設前木橋の架替
昭和59.10.25 施設改修工事(研究室・準備室模様替,資料室取設,食堂廊下・炊事場改修,石炭庫取設)
昭和59.11.07 電話番号局番が変更され,旭川市内局番となる
昭和59.11.13 給水管補修
昭和59.11.24 集合煙突陣笠補修施設
昭和59.12.18 窓枠取替(外側アルミサッシとなる)
昭和61.06.12 環境庁より特別地域内工作物増築協議(浴室・便所を除く建替)に対し同意の回答
昭和61.07.01~ 改修工事のため使用中止
昭和61.12.15 大雪山自然教育研究施設改修完成
昭和62.02.06 大雪山自然教育研究施設改修落成祝賀会
昭和63.02.13 施設使用内規の一部改正,使用料200円に改定
昭和63.02.14 施設使用再開
昭和63.04.01 旭岳温泉利用者無料バス(いで湯号)運行開始
昭和63.04.01 施設管理業務を外部委託とする
昭和63.08.16 環境庁より特別地域内工作物増築協議(女子便所増築)に対し同意の回答
昭和63.08.24 北海道立衛生研究所から,温泉分析書受領
平成02.04.01 施設使用内規の一部改正,消費税法に伴い使用料206円に改定